東部市場前

過去から来た猿

ひまわりちゃんになれない人生だった(挨拶)。
"Ending Theme & Character Song Collection 02" をヘビロテする昨今であるわけですが、 Stray Sheep Story には救済感と同時にあかねちゃんにもひまわりちゃんにもなれない自分を突きつけられてつらみMAXであるわけです。つらい。
あ、 maelstrom も意外といい感じの出来なのでオススメ。つまりみなさんビビッドのBDを買いましょうとのこと。

諸般の事情でポロロッカ的に元ネタを押さえる機運高まりつつあったので映画のDVDをレンタルしてきました。ジブリ多め。今週はまず4本。

  • 『SPACE BATTLESHIP ヤマト』

初っ端から元ネタではなく徒花で恐縮だけども、出渕版がテレビ放映中ということで選定。大方の評価指摘はインターネットに溢れているので省略。
一点、サルベージ業者に身をやつし、放射能汚染された危険な地表で孤独にレアメタルを拾い集めることで兄の戦いを支える、という序盤の古代守像の提示はなかなかに魅力的だったのだけども。
まあ、VFXがちょうすごかったです。はい。

ポルコのアジトが SWII #01. シャッキーニが寝転がっていた海岸のパロディ元、ということで(他にも、改めて調べたら #03. のアンナ・フェラーラは元ネタのパイロットがポルコの戦友と共通しているらしい)。
戦間期のいやーな時代のイタリアを舞台に大空の自由をうんたらかんたら。宮崎駿監督が自らの趣味性を忠実に結晶させた一作、以上でも以下でもないという印象。つまり空戦の作画は大変宜しかった。
趣味性、といえば冒頭の空賊襲撃シーンは本当にひどくて、人質にとった幼女15人のうじゃうじゃっとした自由奔放なモーションときたらもう、筆舌に尽くしがたい。仕舞いには飛行艇の機内に散らかった種々の機械をいじくりまわすのである。以前より世評はあったけども、ああ、この人本物のアレなんだなと真に当方が確信した瞬間でありました。

正味な話、空賊周りの描写(飛行艇にしっちゃかめっちゃかに詰め込まれたマザコンのにくめない男どもとか、溜めをたっぷりとった拳一本での殴り合いとか、雲を抜けた先にある彼岸のイメージだとか)なんかはその多くが、宮崎駿の定番モチーフというよりも単に『天空の城ラピュタ』からのシーン単位の焼き直しに見えてあんまり評価できないのだけど、まあフィオがめちゃシコだったのでいいんじゃないでしょうか。既知の宮崎駿ヒロインでは一番好み。度胸と弱さが同居しつつ初々しさも残しており、素直に好意を示してくる。しかも戦闘はしない。そして何よりハイティーンですよハイティーン。

ストライクウィッチーズ2』要素としては前掲のアジトに加えて、まあ「自由な空を求める」「左ひねり込み」「日本では知名度の低いマイナーなイタリア軍兵器が大活躍」辺りも該当すると言えなくはない。いずれも時代背景・モチーフ・舞台設定あたりの条件から結果的に一致しただけだろうけども。そもそもポルコは戦争したくないって言ってますし。
余談だけどもマンマユート・ボスが庵野の人にしか見えない。全部『風立ちぬ』のアフレコ風景写真が悪い。

SWTM (さすがにこの略称は無理があると思ってる)および『ガールズ&パンツァー』10話 の元ネタとして。
前者については多々あるようなので省略。ちょうど先程、KORDERからメモリアルコメンタリーブックの発送通知があったので、手元に届き次第そちらを参照した方が早かろうし。個人的に気づいたのはオープントップのジープに乗ったウェーバー中尉・デュケスン軍曹のペアが芳佳ちゃんと静夏ちゃんを思わせるなあ、というのと砲撃を受けたアンブレーヴ(バストーニュだったかも)の教会に怪我人が大勢運び込まれている状況がネウロイの潜航で崖崩れを起こしたガリアの農村のそれにそっくりだなあ、くらい。それから、史実にもあったドイツ兵の浸透による通信妨害は、そこからの回復すなわち501JFWの再結成という形でそのまんま劇場版のプロットの骨子となっている。
後者は10話でパッケージが映る他、11話で「パンツァー・リート」が流れていたとか。

本篇については、3時間近くもあるわりには意外とダレないなあ、とか。
戦争狂のヘスラー大佐がHELLSINGの少佐を連想させたんだけども、まあナチスドイツの敵キャラで政治的めんどくささを回避しようとするとキチガらせるのが早道ではあろう。戦争映画ってよりかは戦争を題材にした娯楽大作の感あればこそ。

庵野秀明主演作品『風立ちぬ』公開に向けて未見の宮崎駿監督作品を押さえよう運動の一環として。
とにかく色んなものがうにょうにょ動きまわるアニメでした。動きに淫する風ときたら気持ち悪さと紙一重のところがある。ポニョ母のバタ臭い面とか踏まえるにこの期に及んでディズニーごっこがしたかったのかしらん。
と、いうのは画面に限られていて話はそうでもない。幼児が見る幼児のための世界の感があって、あれやこれやが象徴として立ち現れるし、大人は妙に物分かりがよく子供と大して知能が変わらないように見える(そのような側面しか示さない)し、ましてや大人の責任がどうとか野暮なことは誰も言い出さない。しまいには世界とか救う。名前呼びの件を持ち出すまでもなく、宗介は周囲の大人から判断力ある一個の主体として尊重されているんですね。
ところで宗介が世界救済する一件ですが別に遠くの街で戦争とか起こってないし男の子が無力感噛み締めてないし悲恋の萌芽はあったけどもふつうに回避されたのでセカイ系とは言えない。そもそも幼児の象徴的な世界観にあっては世界とか簡単に救ったり救わなかったりするし、社会の存在とか実感できない(そもそも社会とか存在しないので社会なる概念をエミュレーションできていないと表すのがより精確でしょう)ので女の子とのボーイミーツガールは容易に世界の運命と接続されうる。なんとなれば、女の子なんてそれ自体が一個の世界ですからね(気持ち悪い発言)。
話を戻すと、だから、正しく子供向けアニメの感はある。

フェチポイントは車道と交差した船舶用ドック。「フネいいよね」「いい…」
個人的には NANOHA The MOVIE 2nd A's に続く(順序が逆だが)車椅子アニメになるかなーとも思った、というのはわざわざ手動と自動のバリエーションを用意することでキャラクターの差異を提示していたから、なんだけども結局は単なる老いの識別子にとどまっていて残念。とはいえ階段下の水際にカラの車椅子が何台も並んでいる絵面はなかなか不穏で良かった。

そういえば宮崎駿監督作品って幼女もさることながら愛嬌ある婆さん連中の印象も鮮烈で、紅の豚でもピッコロの親戚の婆さんたちが実に楽しそうだったのだが、要するに少女性ってそういうことなのかな、とも思った。人間は老いると子供に還っていくわけですが、それは成熟によって社会的に科せられた女性としての種々の呪縛から解放されることでもある、というような。