東部市場前

過去から来た猿

森田季節『魔女の絶対道徳』読了。感想書いたら長すぎて読書メーターの字数制限に収まらなくなったのでこちらで。

  • 作者が久々にシリアスな話を書いたというので買ってみたが、程々にジャンル自己言及的な組み方と叙述まで含めて、基本的には何ていうことのない現代異能ラブコメだった。真犯人の類型的な描かれ方(大学で人文科学やりすぎちゃった感じの人やそこそこ幸せで平穏な生活に飽きちゃった人)なんかはわざとやっているようにみえる。見るべきは劇中たった3,4日の間の出来事の展開に回想を折り挟むことで主人公のあり方と選択=初めての殺人までを過不足なく説得的に描き出し、また一見どうということのない乾いた地方都市の山林をその地誌を掘り起こすことによって伝奇的な場とせしめるその手際だろう。
    • 森田季節の描く地方都市ってノーマライズされてなくて、多分明確にモデルをとったうえで粒度高めに抽出しているからだと思うんだけど、「リアリティ」=今、まさにそこいらの田舎に立地してそうな感じが高くみえる。着実な地形描写の賜物か。
    • 秩序を破壊したいカルト集団っていう点ではオタフィクションにお馴染みの敵さんなんだけど、組織的に編成された秘密結社やテロリストではなく悪さを思いついたただの人間のグループとしてしか描かれないのでホラーっぽさもある。
      • いや、ホラーなら修羅に惨殺されて終わりか。
    • くたら庵の娘さんは多分地方をこじらせちゃった人で、たまたま出会ったか何かしたヒゲの人から久多良市に秘められた「真実」を知ってしまったために問題意識に覚醒してしまったのでしょう。
  • 「ビター・マイ・スウィート」あたりの初期作品を引き合いに出す向きを見かけたが(そして購入時に当方が期待していたのもそれだったのだが)、本作は切なさの叙情性に欠けるのでその観点からの評価は納得しかねる。シリアスを面白掛け合いで糊塗してるせいもあるような。
  • 知里がちょい弱い。下ネタに恥ずかしがっているようでは、輪月が人間としての倫理ぶっ壊れたまんま終始突っ走り続けるのに比べるとどうしても旗色が悪い。本来そういうのって甘ロリ吸血鬼担当でしょ。

清水マリコ『友達からお願いします。』読了。数年ぶりの新刊に胸躍る。
傷を与えられている&思春期補正で女子に対して自意識がめんどくさいことになってる男の子と融通の利かない清冽な美少女が名状しがたい信頼関係から友達へと至る話。
ジャンルの重力もあってか露骨に恋愛への含みが散りばめられているんだけど、まだ手前に留まっている。無論、「手前」という括りが既に問題孕みではある。
思春期はいつだって恋愛に憧れていて、ラブコメを読もうが非ラブコメを読もうがおまえらさっさとくっつけよと呟く毎日だったけど、今となっては恋愛未然の名状しがたい、尊くゆかしい領域に踏みとどまって欲しいと願わずにいられない。とらドラ!の話ですか。そうかもしれません。
田中木蓮という人もそうで、その清いあり方はかつて当方が挫折してしまったものに似ていて、だからいつまでも保ってくれと祈らずに以下略。

自分語りが過ぎたのでむしろアクセルを踏んでみる。中学生の頃、ライトノベルを意識的に買って読むようになったいくつかの作品のひとつが「嘘」シリーズだったので(それ以前は図書館で何となく読んでいた)、どうしても思い入れと投影をしがちです。
水が合うんですよね。この人の作品から立ち上る、東京だったり神奈川だったりのなんてことはない住宅街のまとう「水」の匂いが。(それから、けして読者を自傷行為に耽らせるためだけでない、彼らを彼らたらしてめている一部分としての抑制の利いたイタさが。)
もともと、街の中を水が流れている光景が好きで、地元のそうした場所を巡ったりもしたんだけど、東京の湾岸は工業・流通地帯の人工性と圧倒される規模、交通の密集、それでいてちょっと行けばすぐ人の生活が息づいているありようがたまらなく魅力的なんですね。羽田空港から首都高をバスでお台場有明の方に抜けたり、(作中にも登場する)モノレールでときに水の上を走りながら大井競馬場浜離宮や水上交通の行き来を視界に収めたりとか、あるいは京急の急行で住宅すれすれを駆け抜けていくときとか。これまでの上京、とはイベントに参加するか人に会うかのどちらかだったので、それ以外の一種の「観光」としてのこうした時間はとても楽しい。一度大田区・江東区観光に行ってみたいですね。
(ところで、この点でも劇場版パトレイバー2は大変趣味に合った映画であったことに気づく。)

話を作品に戻すと、こうした点から街歩き小説だったり工場萌え小説としての本作が見えてきたりもする。デイリーポータルZ的とでもいうか、非専門的な、一介の市民のフェティシズム的見地から何気ない風景を再発見するとかなんとか、そんなかんじ(柄谷行人とは関係ないはず。多分)。
あとがきによれば『HURTLESS/HURTFUL』も舞台を同じくしているとのことなのでいずれ再読したい(←しないフラグ)

他、散漫なメモ。

  • 恋愛厨の友人キャラを投入したりわざわざ「二人部」という枠組みを設定する辺りが、今風のMF文庫Jらしいラブコメにしようと手を入れた部分なのかな、と。
  • モノクロ挿絵の使い方が大変上手い。デッサンに難あれど表情が堪らない。特に終盤の見開き2枚はテキストとの連携において秀逸な演出。
  • 水森めんどくさえろい。視点の数だけ世界はあるわけで、楓にとっては失敗色で塗り固められた記憶が彼女に言わせれば「かっこいいと思」わせる光景だった、というのが読んでてこう、心温まるというか、救われる。

ヱヴァQ。2回目。

  • 前日にテレビ版DVD(03年にリリースされた5.1chリマスタリングの方)を観ていたので、あっちの方が全然面白いなどと碌でも無い放言をしたりした。
  • アスカが何かの精神分析の本で取り上げられそうな感じの、息子を支配しながら依存するタイプの母親でうげげーって思いました。ケツ叩いて叱って動かしながら救いを求めるどうしようもなさ。
    • (多分)初恋、の男の子とかさっさと忘れて他にパートナー探せばいいのだが、それが出来ないように世界設定のレベルで仕向けられていて、エヴァの呪縛は彼女を14歳の時点に縛りつけ、同じ身の上であろうシンジ君に縋らざるをえなくしているのでしょう。うわー。
      • 「私のことは助けてくれないんだ」という嫌味は当然、破のレイの一件を前提に置いてはいるのでしょうが、あんた軌道上の初号機奪還シークエンスで助けられてたやん、とか思わないでもない。シンジの自由意志が働いていたかはともかくとして、そのように認識することはできる。無論もっと全人格的な救済と依存を求めてるんでしょうけど。
    • そしてそんなQアスカに支配して欲しがってる当方はマザコン以外の何物でもないので早く死にたい(余談)。
  • 爆死直前、唐突に仏教思想とミーム論が混ざったようなことを言い始めるカヲル君。言いたいことはわからんでもないががキリスト教的オカルティズム全開の画面と齟齬る齟齬る。
  • 同行者と感想を言い合う中で気づいたことには、当方がゲンドウを息子との接し方に戸惑う不器用な父親として読みたがるのはそうでもしないと二人の関係に救いが無いから、らしい。純粋に陰謀のダシにした/されたではあんまりじゃないか、と。

ヱヴァQ感想。初日初回。備忘。同行者との会話からの成果も込みで。ネタバレしか無い。

  • アスカ様!その揺るがなさと未練たらしさが堪らない!
    • アニメ版・漫画版のなかでは一番魅力的ですね(数あるゲーム版やパチンコ版は一切知らないので除く)。お仕えしたい。
    • 仮に破のアスカとQのアスカが同一人物だとして(まああの惣流然とした佇まいこそ演出上のブラフなんだろうけど一応)、14年の間にパートナー作らなかったのかな、とも思うが、エヴァの呪縛のせいで歳がとれないのもあって同じ身の上であろうシンジに固執しているのかも。アスカ視点では3号機の起動実験開始→(封印される)→気づけば数ヶ月~数年後、世界は荒廃しその主犯はシンジと聞かされる→ヴィレに参加して戦う→現在に至る、という流れなので、ニア・サードインパクトの現場に立ち会ったミサトさんなどとはまた違った想いがあるのでしょう。
  • 3DCGで敵モンスターを描くとRezもどきになってしまう問題再び。あるいはアウロラ
  • ヴンダーがヤマトでアークエンジェルで飛空艇。あとちゃんと触れてないけどN-ノーチラス号らしいですね。ミサトさんはP4に見えるし。
    • 重力制御って実はエヴァ世界では初出のテクノロジーなのでは。S2機関を別にすれば基本的には近未来的な、90年代から見て2015年には実現していないこともなさそうなテクノロジーの集合体だったエヴァにあって地味にエポックメイキングであるようにも思う。
    • マヤさんお強くなられた、あるいは男嫌いをこじらせてしまわれた……。
    • 髪を切ったリツコさんと老いた冬月はいよいよ顔面骨格がコーカソイドにしか見えぬ。
    • 今作における「俺はこれがやりたいんだ!」ボンクラ妄想の発露、に見えるもの、といえばこれ。浮遊する軍艦の群れ。思わず満面の笑み。
    • 飛空艇、というのは作劇上重要な存在で、これは適当にFFとか引き合いに出せばいいんだけど、移動の自由がぐっと増して世界中どこでも行けるようになる=ヴィレがいつでもどこでも状況に首を突っ込めるようになる、という。
  • 目覚めたら状況は激変し置き去りにされている、という状態にあって右も左も分からないわれわれはシンジ君の視点に寄り添って鑑賞せざるをえず、「ミサトさんたちがネルフを裏切って内戦を続ける並行世界に来てしまったのだろうか?」とか「アスカが惣流っぽい恰好してるし別のループなんだろうか?」といった興味の引力に引き寄せられてのめり込めるわけですが、破から14年後と判明しシンジ君がネルフ本部に到着してからはいかんせん弛緩する。
    • とはいえ、やはり破の圧縮具合が異常だったのであって、劇場版のアニメだったらこれくらいの速度だよなあ、とは。
  • ヒロインを助けるか、世界を救うか、というどうしようもない類の二項対立の問題系があるわけですが、ヒロイン助けたら世界滅亡してました、いやいやそんなこと言われましても聞いてないがな、という展開は面白い。さらにカヲル君も代わりに責任とって爆死してしまい、シンジ君の罪の意識は増す一方。これは自閉してもしゃあないと思うんですよね。
  • 13号機という存在の据わりの悪さとか、東京が喪われてしまったのでただのモンスターエンカウントにしかならないパターン青!使徒です!とか。
    • 脱臼しかかったナンバリング。数を重ねているけれど見た目のモチーフを踏襲しているので落ち着かない。
  • シンジ君の拙速さ・迂闊さ・愚かさを叩く人が多いようだけど、彼はほぼ一貫して陰謀の犠牲者なのでなんだかなあ、といった感じ。14歳の根性曲がった少年の手に余るような特権的な力を、本人の与り知らぬところで保持している、にもかかわらず、その立場について適切な情報や教育を十分に与えられていない状態で、自らを取り巻く状況においてやれるだけのことをやった結果、陰謀家たちによって彼らの目的を成就するよう誘導されたという経緯にあって、しかも周囲の人々はおのおのの葛藤や都合で事情を明かさずに要求だけを突き付け、挙句の果てに自分の行為がもたらした破滅と罪を知らされたら、まず否認や責任転嫁などの防衛機制にに走って自分を守ろうとするのは人間の通常の心のはたらきであるし、そんな中で目の前に都合よく下りてきた蜘蛛の糸にしがみ付くでしょう。蜘蛛の糸の存在を教えてくれた人に止められても。そしてそれもやっぱり陰謀の続きであったことを依然として知らないまま、無力感だけ押し付けられたら引きこもりますよ。救われないなあ。
    • おまえら子供を騙して連れてきて何期待してるんだよという怒りは中学生の時に貞本エヴァを初めて読んだときから思っていましたね。それが世の中だ、とか訳知り顔で言う輩は(以下略)
    • 一言で言うと、「彼は利用されていることすらわかっていない、立場を自覚すらしていないのにどうして責められようか」。
  • ここまで訳知り顔でコメントしてきたカヲル君ですら騙されていたことが明らかになり、そのまま劇中から排除されたので今後の展開を保証してくれる存在はいよいよ誰もいなくなった感がありワクワクする。
  • 2号機は旧版でもさんざ凌辱の文脈が積み上げられているので傷めつけやすいのかな、と。パイロットの性格的な問題もあってか、突撃(&バラバラ)の改2号機と直掩の8号機、という分担が上手く回っているように見える。
    • マリは実に自然に世界に馴染んでいる。「ヱヴァの呪縛」と本人の言い回しを検討するに、実は結構なお歳なのかな、と。冬月がシンジ君に見せたユイの写真に似た人が写っていたような気がする。
  • 14年経過させて何がやりたかったのかな、と言うと色々想像できると思うんだけど、ひとつにはキャラの加齢を口実にデザインの更新を断行したのかったかな、とか。パンフレットのミサトさんなんか眼や輪郭がもろに「おおかみこども」の貞本デザインですよ(本篇観てないけど)。結果、序もさることながら破に至るまでつきまとわれた「なんかスゴイ豪華な画面なんだけどどことなく古さの残ったものを見せられている」感は大きく払拭された。でもネルフ本部に戻るとやっぱり多少あるんだけど。廃墟の鮮烈なイメージは今でもまだまだ十分行けるんだけど、でもやっぱり「まだまだ行ける」なんですよね。
  • エンディングクレジット、動画担当のスタジオの数に思わずほっこりする。力業やわあ。
  • 予告のエヴァ8+2号機の殺陣が今回一番の笑いどころではなかろうか。いかにもやっつけでCGで動かしてますよーって感じであるにもかかわらず溢れ出すボンクラ臭が堪らない。これはこれで観てみたい。
  • 結局3人に戻っていく終わりが心あたたまる。

また何か思いついたら追記。

某氏と流れで、リトバス楽曲歌詞検討会めいたものを。結果的により理解が深まったような、余計にわからなくなったような。
一応の成果。「雨のち晴れ」がまんま『ONE』、とりわけ折原浩平消失後の里村茜視点SSとしか読めない。お前は5年越しに何を言っているのかという話ではあるが、ざっとググってもそれらしき言及が見当たらない(無論当時の膨大な考察掲示板ログの山に埋もれたおそれは拭えないが)のでここに書き残しておきます。

一般論。
思春期特有の異能を用いて「守る」ために闘う青少年に対して大人の側が倫理観を発揮するのは時にむしろ傲慢ではあるでしょう。彼らの方が「強い」のだから。
実のところ、子供に対する大人の責務、というのは胡散臭いと思っていて、これはそもそも子供という枠組み自体がフィクションだという話を持ち出すまでもなく、現代社会における大人の責務とは大方「男の矜持」に起源を持つのだから青少年の方が強いとされる状況で尊重する価値を特段見出せない。畢竟、犬にでも食わせておけばいい類のものではあって、言ってしまえばキャラクタを用いた読み手へのエクスキューズに過ぎない。
(青少年・子供は「女」に読み替えてもよくて、そうするとストライクウィッチーズにおける軍艦乗りさんや上層部のみなさん=オッサン集団が忸怩たる思いを空転させる落ち着かなさを適切に切り取ることができる。)

とはいえ経験に裏打ちされた老獪な対応や組織の運営なんかは大人の方がよっぽど長けているのだから、両者が互いに互いの領分を尊重しあって状況に立ち向かうフィクションこそあらまほしけれーという寝言。

PUELLA MAGI MADOKA MAGICA THE MOVIE Part II: Eternal.
メンズデー千円。結論から言えば正値を払ってもよかった。
上映時間の半分位は満面の笑みを浮かべていた気がする。WA2プレイ時とまったく同種の、往来で露呈すれば即ち公僕を呼ばれる類の邪悪さに満ちた。

作品の楽しみ方はひとかたではなくて、何となさげに流し見しようとも画面にかじりついて一喜一憂しようとも、始終ぶつくさ文句を垂れ流そうとも奇跡の実現として崇めてもよい。ヴァリエーションは無数にあるしどれか一つだけ選ばなきゃならないということでもない。このハナシの場合はキャラクタの感情に素直に寄り添って苦しんだり泣いたり祈ったり救われたりしてもいいし上から目線で作り手とキャラクタ双方のボンクラ自意識を翫味しながらニヤついたり指差して「こいつ馬鹿だ!」と叫んだり目をみひらいて大口を開けながら手を叩きつつ上体を前後にゆっくりと反らす関口宏笑いに耽ってもいい(よくやります)。当方、テレビ放映時は無意識に前者のスタイルを採用しようと試みるも近年のシャフトの薄っぺらい画面と結論ありきでリソースの平仄を合わせようとするウロブチの旦那のちんこが目についてどうにも我慢ならず、爾来事あるごとに西南の方角に中指を立て続けてきたわけですがこの度開眼致しました。
ボンクラアニメとして見ればなかなかの快作だと。
イヌカレー空間もいいかげん慣れてくるとそれなりに見れると。劇場版も後編とあって作画の快感あるしレイアウトも美麗だと。まどほむだと。(←前からそこそこ)

伏線としてはここのところイン殺の過去ログと中里一日記の前編感想を読んでいたのがあって、一時的にボンクラ嗜好がブーストされていたという経緯がありまして。そして前編の記事に書いたように数年ぶりに声優魔道に堕ちる。あおちゃんかわいい。脳内ではコネクトとルミナスのループ再生が止まらない。まどほむgifはすばらしい。作品を取り巻く諸々に対する憎しみと好意の区別がつかなくなってきたところで、とりあえず月末発売予定のアルティメットまどかフィギュアをポチり、劇場入りしてカフェインを決めながらCMを観ているとサイボーグ009のハリウッド風思わせぶり予告がなかなかそそられる→ヱヴァQの例のピアノ予告で脳汁ドバドバのところで上映開始、さやかの「あたしって、ほんとバカ」でテンションは最高潮に達しボンクラ覚醒!というプロセスを辿ったわけであります。
以降、キャラクタの感情を味わい尽くす文字通りの怪物と化す。おお、哀れ。少年漫画の序盤で主人公に「ば、化け物!」って半ばビビられながら斬り捨てられそうな感じ。

と、いうわけで、いやー女子中学生ってほんとバカですね。何せそもそも女子中学生だから仕方ないし、内何人かは幼少期に魔法少女になったせいで精神の成長が止まってる感あるし、その上に魔法少女としての経験で各自こじらせちゃってるし、そういうわけで協調とかホウ・レン・ソウがあんまり出来ないうえにすぐ破綻する。さやか(だったもの)と無理心中する杏子とかソウルジェムの秘密を知って発狂するマミさんとか。ほんとバカだなー(哀れみと慈しみの上から目線)。
そしてボンクラ感全開の演出がまた堪らない。本作におけるボンクラの要諦とは「ひとつでもよさそうな武器を無闇矢鱈とたくさん並べてたくさん撃ちまくる、そのアホらしさとケレン味」および「一般的に魔法少女にそぐわないとみなされる武器を使わせるミスマッチ感」であって、前者がマミさんの単発マスケット銃踊りながら連射やほむほむの時止め&ロケット砲連発やまどかの全時空に対する弓矢乱射、後者がほむらの自作爆弾&ヤクザの事務所から盗み出した銃器(忍び入った際、手持ちの機械式ムーヴメントめいたアイテムに次々と放り込んでいくに至ってお前はドラえもんかとまた爆笑)&基地から以下略のロケット砲&ミサイル発射&タンクローリーで突撃、ってほとんどほむらじゃねえか!
まあ、杏子の多節棍(まあこれも香港映画か!とか突っ込んでよいのだが)然り、劇中で提示される限りの設定において魔法少女アイテムの特性をあまり積み上げていない以上、単純に数量とモーションで魅せるしかないのでしょう。存外これがキャラクタとも噛み合っていて、マミさんのはオレ美学だしほむらのは純粋に自らの時止め能力とスタミナの無さから導き出した合理的戦術だろうし。さやかですか。さやかはよわいので。それに剣がたくさん出てくるとまんま(お察しください)なので。
やっぱりウロブチの人はボンクラなんですよ。リソース問題と人類の未来に対しては過剰に貧乏性、徹底的に敗北主義的なせいで見えにくくなってたけど根っこはボンクラ。でなけりゃ、宇宙全体のエネルギー問題の解決のために捧げられる魔法少女に重火器乱射させたりしないとおもいます。

前もどこかで書いた気がするけど、悲劇はしばしば喜劇に見えがちで、当事者が頭悪かったり神の見えざるはずの手が見え見えのときは特にそうだ。何せ他人事だから。このハナシは問題設定を思春期の少女に寄せすぎてるんですね。俺は勿論魔法少女ではないし、少女でもかつて少女であったものでも何でもない。せいぜい彼女らに守られる一般人ではあろう、が生憎とこのハナシはそっち側にはあんまりスポットを当てないのでまどかが概念と化すことなんかへの己の態度を定位しがたい。無論こうであるからといって特定のキャラに感情移入していけない・できないということは無いが、今作についてはできなかった。ゆえにバカだなーと指さして笑うくらいしかないのです。


他。
リソースの話についてはやっぱりレトリックで押し切る気しか無いのでしょう。なぜまどかが最強の魔法少女としての素質をそなえているのかのくだり、ほむらの時間遡行によってまどかを軸に螺旋状に繋がれた因果が云々、なる説明のわかったようなわからないような感じ、捲し立てられればつい納得してしまいそうになるが立ち止まってみればどこまでも主観的説明にしかなってなくて、さやか周りで語られた希望と絶望のバランスの話といい、根底には莫大なエネルギー源としての人間の感情に対する信仰が横たわっている。ここは実際消失点ではあって、「なんで人間の感情がそんなスゴイの?」と問い掛けても多分「スゴイからスゴイ」としか返ってこないでしょう。トートロジー。まあ、これはこれで魔法少女物としては多分正しいリアリズムなのですが、SFか?とは思うし、そこに奇跡のリソースの問題を接続してループを絡めてエロゲー出身者のポーズをとるのはいかにも筋が悪い。ジャンルの側の内的論理からはあまり関係の無い物を引っ張りだしてるわけですから。
梶浦由記のコーラス付きの劇伴は相変わらず宜しい。久々に『舞-HiME』のサントラを聴きたくなった。
ほむらのメガネがウルトラアイにしか見えなくて困った。画像検索してみると全然違うんだけど。
やっぱりテレビ版OPのベッドでうだうだするまどかは生理、というのは直後のもう一人のまどかと抱き合って乳が潰れるカットに引きずられてはいるのだが。まあ生理。
水に漬かったまどかの死体の顔つきが秀逸。本当に死体。あのキャラデザで死体以外の何物でもない顔を実現するとは感動しました。
最後に登場する魔獣がちょうかっこいい。巨大な托鉢僧にしかみえないのでちょうかっこいい。まんまエネルギーを乞食に来てるんですかね。
シャフト名物、風に流れる帯についてそろそろ誰か「演出意図」をパーペキに解説してくれてもいいんだぜ?(後編終盤のそれは素直にまどかとほむらで2本、ってことでいいとしても)
スタッフロール。白バックがまぶしく目に優しくない。まさにひかり。
続篇予告。大団円を大団円たらしめるために施された飛躍のスキマから新作を捏造するためのロジックを抽出するのはこの手の詰めに詰め込んだ企画が存外ヒットしてしまった際に苦肉の策としてしばしば見受けられますが、一応の納得を得たファン(ファン!ファンだっておまえ、どの口で!)からしてみれば如何にも無惨な心持ちにさせられますね。まあ観るけど。