東部市場前

過去から来た猿

直近のエントリ、手癖で書いてるなー。ここ何年か、エロゲーについて語るときはほとんどそんな感じで本当によくないと思う。

『春萌』の話をもうちょっとだけ。
東京と地方の対比、などと雑な括りをかましてみたが、実装としてはそんなに全般的なものでもなくて、主には主人公の意識における問題であるわけです。かつて後にした故郷の能登萌とは、第一には見捨ててきた(少なくとも本人の認識においてはそうである)灰音・りるけ母子らへの後ろめたさとして立ち現れ、ここではヒロインと故郷=能登萌は同一視される。灰音さんルートなんかはあまりに露骨だし、彼女たちが代々のミス能登萌であるのは単なる箔付けに留まらない暗喩としてあるのでしょう。
(まあ、その辺が近代文学だよね、とか与太はかませるのだが当方具体例を寡聞にして挙げられぬので以下略。)

ところで、実はこうした意識が強いのはヒロインにもひとりいて、まあ淡雪ちゃんですね。田舎なんて出たいと思うし、実際にそうするだけの知恵と能力もあり、しかもそうした考えの浅はかさに気付いてしまうだけの聡明さも持っていた、というのが彼女の悲劇(喜劇)なんじゃないかと思うわけですが。あと北大(作中ではそのように呼ばれないがまあ北大)に受かってしまう程度の中途半端な地域エリートっぷり。國學院女子短大@滝川、辺りだと実家から通学できそうなのでもっと悲惨でよかったと思うけどまあ淡雪ちゃんは短大に収まるような器ではないですね。偏差値もダンチだし。
閑話休題。浅はかさというのは、彼女には家族や地域社会といった特定の対象への葛藤があったわけではないからで。シャドーボクシング、と言ってしまうとあんまりですが。そのことを悟ったなら、そりゃまあ、エンディング後は実家に帰ってきますよね、という。