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- AYNIKはストウィチでした。ゴジラはビビオペでした。2014年はいったいどうなってしまうんだ……!(挨拶)
- そうしてゴジラ観てきたので感想。内容に言及しています。
- ざっくりハワイ辺りでぶっつり切れてて、まるで別の映画を2本接合されたかのような気分になれます。それでもいいのならまあ。
- 脚本の問題は措いといても映像の部分においてIMAX 3Dで観てよかったとまでは言えない。そんなに何もかもがスクリーンのこちら側に飛び出してくる映画ではなかったので。AYNIKなんかはぜひとも3Dで、という出来なのだが。
- まあ前半はぶっちゃけ震災(作中の水準ではそうじゃないけど)映画になってて、今このタイミングで俺が観るから面白い、というのは多分にあります。日本のウソ大都市に隣接するアメリカっぽいフォルムの原発が地震でウソっぽく崩壊したり、ハワイにリアル津波(車だの木だのガレキだの人間だのあらゆるガラクタを巻き込んだ黒い塊)が押し寄せて人間がガンガン呑み込まれたりするさまが、一度フィクションの側に回収されたうえで提示されるからクソ面白い。善悪の話は知らん。
- この点でフォードの親父という人は被災者遺族のひとつのありようとしては極っていて、社会的に隠蔽された真相を究明しようとするあまりに息子からはキチガイに見える。新聞やらなにやらのスクラップに埋め尽くされた自室の壁面は雄弁に物語る。(ごく個人的な話をするなら)似たようなタイプの肉親を持つ者として、息子氏の苦悩は察して余りあるというものです。
- うーんまあそれでなんだっていうと、後半の筋書きはよくあるびみょーな出来のハリウッド映画なので別にどうでもいいです。ゴジラとムートーの闘いの目撃者とする「ために」息子氏が軍隊の規則を突破して核ミサイルを運ばされたり解除に行かされたりするように見えてしまうのでどうにも退屈で。
- とはいえ怪獣バトルの方は大変よかったです。終盤まで引っ張っただけのことはある。今回のゴジラの顔がちょいゴリラっぽいのは元ネタ重視だったんでしょうか。個人的にはもっとすらっとした平成版のが好みですが。ムートーも鋭角的な顔つきが好感度高めでした(初登場時、ゴジラのキャラデザ随分変えてきたなーと勘違いしてしまったのは余談)。
- 総じて、画面は本当によく出来てたと思うんですよね。怪獣の巨大さ、制御できない力強さの表現。日本の廃都市のイメージ。警察や消防のけしてスタイリッシュではない不穏なカッコよさ。後でも書くけどエアボーンの天使降臨。などなど。
- それにしても渡辺謙はハカセって顔じゃないよなあ。なぜこのおっさんの下手くそな英語を2時間も聞かされにゃならんのだという感想はある。
- ちなみになんでビビオペなのかっていうと電磁パルスで電気機器が使用不能になって飛行機がガンガン落ちたりするからなんですが(それ引用元が同じってだけやん)、もうひとつ、まあこっちも多分パロディなんだけどエアボーンするから、というのがあって、退屈な後半にあって唯一と言っていいほど、人間側の描写としては鮮烈な美しさがありました。天使降臨。
- ついでにAYNIKがストウィチなのは人外の敵にパワードスーツで立ち向かうのと、ダウンフォール作戦(欧州反攻)ですね。
- まあまとめてみるとみなさん別にこの映画観に行かなくていいと思いますよという感じなのだが、キスが人類を祝福する映画だったという与太を述べて締めにしようかなと。冒頭とラストで2回、再会の喜びにキスする主人公夫婦。ムートー妻の口に放射能火炎をゼロ距離で叩き込むゴジラ。
- ざっくりハワイ辺りでぶっつり切れてて、まるで別の映画を2本接合されたかのような気分になれます。それでもいいのならまあ。
- 追記。
- 脚本そんなに書き直したのか。そりゃあまあ、このとっ散らかった構成、国境を越えて色々な客の顔色を窺ったような展開になるのも無理ないわ、とは思わないでもないが、ハリウッド映画では数人のライターが関わるのは普通のことと聞いたこともあるし、うーむ。
- カットを繋ぎ変えて大胆に再編集すれば大分マシになる気はしないでもないんですよね。家族の話をもうちょいブラッシュアップして、フォード氏のポジションを本当にただの人間(息子であり父であり夫)にするか、あるいは思い切って超人・天使の側に寄せてしまうかして。
- 日本の都市なのに名前が「雀路羅」ってなんなんだよって向きがあるようで、検索するとどうもタイ語あるいはインドの言葉っぽい(サンスクリット語っぽい響きだなーと思ったけどどうもアラビア語から入った語っぽい。アルジャジーラ=島。かの有名な衛星テレビ局と同じ名前。雀路羅の方は、臨海都市ではあったけど島かどうかは記憶が定かでない)、まあ元記事にあるように「呉爾羅」に掛けたのかもしれないし(ちなみにオリジナル版は未視聴)、あるいは実在の都市と被らないよう配慮したのかもしれない。ただ、ギャレス・エドワーズ監督はタイの津波にも言及していて(これが2004年のスマトラ島沖地震のことなのか、あるいは2011年の洪水のことと混同しているのかはよくわからないけど)、リンク先の発言からも察することができるように、イメージを日本の2011年の震災だけに限定する意図は無いんだろうな、とは思います。さすがに一緒くたにするのは無茶な気もするけど、ハワイの津波のシーンは南国のビーチを襲う恐慌、という点でスマトラを想起させるものだったし。津波が市街地に入ってからはアメリカっぽい街並みを水とガレキが舐めるようになっていて(実際にホノルルでロケしたのかは知らない)、向こうの観客にとっての迫真性も拾える選択だったのかな、とは。
- 脚本そんなに書き直したのか。そりゃあまあ、このとっ散らかった構成、国境を越えて色々な客の顔色を窺ったような展開になるのも無理ないわ、とは思わないでもないが、ハリウッド映画では数人のライターが関わるのは普通のことと聞いたこともあるし、うーむ。
- 追記2(2014/09/02)
- 時間が経ってみると別に観なくていいとまでは思わなくなってきた。少なくともこうやって書き散らす楽しみはあったので。