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ここしばらくの間に観たアニメと映画の感想。
明日は『ALL YOU NEED IS KILL』を観てきます。
- 『CLANNAD』(テレビアニメ版)
- 18話(渚ルート確定回)で止まってたので今更ながら残りをAFTER STROYまで。
- 中原麻衣アニメという感じだった。
- それはさておきゆきねぇと結婚したい。
- 原作は発売日に買った初めてのゲームで結構な思い入れがあるんですね。フルボイス版でもう一度やってみたくなりました。
- 通していえばそんなには面白くなかったです。
- それにしても18話のラスト、(自分ではなく)渚が選ばれたことを悟って号泣する椋なんですがアヘ顔にしか見えなくて苦しみを感じる。
- ところで原作の話をすると、決定的な場面において男性キャラクターの叫び、心中の吐露によって展開を大きく動かすとともにプレイヤーの心を揺さぶる、という手法はまあリトバスのRefrainにおける恭介のそれの話なんですが、実は渚ルート(分岐手前だったかもしれん)の演劇における古河の親父の乱入もそうだったのかな、と。声優の演技によって強める、という点では明らかにリトバスが画期ですが。
- 『マリア様がみてる』(実写版)
- 興味本位で手を出したんだけども、近年の和製実写映画にはよくあることなんですが撮影処理の風合いが苦手なので断念。デジタルの汚さばかりが目立ってしまって。
- 『戦場のメリークリスマス』
- 北野武出演作品その1。とはいえこの人の演技はまあひどかった。
- 代わりといってはなんだけども坂本龍一(ヨノイ大尉役)の怪演が光る。そもそもがホモセクシャルの陸軍将校、満州に飛ばされて二・二六事件には参加できず、という設定だけでお腹いっぱいで、もうこのひとひとりだけで伝奇映画作れるよという代物である。
- ローレンス氏(トム・コンティという人らしい)が安倍晋三とヒトラーを足して二で割ったような顔をしていて、けれども英国軍人なのでファシストではあるはずもなく、なんだか面白かったです。
- ジャンルとしてはまあニンジャ(≠忍者)映画で、仄聞するに「西洋人のぼくが見た西洋と東洋の摩擦衝突の光景」という体裁らしい原作を数十年語の東洋人のぼくが考えた西洋と東洋の摩擦衝突として映画化する、というまあ何重にも捻れた代物なわけです。うーんなんだろう、エドモント本田? ブシドーの行き過ぎた日本陸軍とか。差異を描こうとすると殊更に強調したくなる、なにせフィクションなので、というような。
- 熱帯のジャワが舞台なのに全然暑そうに見えなくて(俘虜のみなさんは衣服をはだけているのに)、多分これは演出と劇伴の勝利なんだろうな、と。かの有名なテーマ曲の氷質感。クリスマスだから暑くみせる気はないのだろう、と。
- 敵味方の関係を越えた友情、といった評価を目にするけどうーんこれ友情っていうんだろうか、という戸惑いがあって、まあ友情って必ずしも対等な関係において成立するもんでもないし、おかしくもないのかな。
- 『菊次郎の夏』
- 北野武出演作品その2。久石譲の劇伴に興味があったので。
- のっけから話が逸れて恐縮なんですが、最近の問題意識として、社会全体に広く普及している、人間の感情と認識をハックする手管のありようについて、というのがあって、卑近なところでは安い肉でも脂を注入するとちょうおいしいよね、とか一定の仕方で化粧を施すとあたかも美人であるかのように見えるよね、というところから果てはシナリオのしかるべきところでテーマ曲のオルゴールアレンジを流すと涙腺を決壊させられるよね、なんてことを考えていたんですが、要はsummerの旋律をパロったBGMが流れるゲームを2本ほど知っていてそのいずれにもある空想上の夏への郷愁を掻き立てることのみに特化したメロディが大変好きだからです。
- そういうわけでなんとなく感動物なのかと思ってたんですが、観てみるとこれが7割コメディでびっくり。それでいて押さえるべきところは押さえてあって、チンピラのクズの菊次郎氏(テレビアニメが絶賛放映中の松太郎氏にも似たものを感じるので軽度の知的障害なのかもしれん)と冴えない少年まさおくんの心の交流うんたらかんたら。
- 肩肘張り過ぎてなくていいなあ、と思ったのは、終劇後のふたりが交流を持つことは多分無いだろうし、菊次郎氏が「更生」するともどうにも思えない(多分これからも適当に因縁つけたりカツアゲしたり女房から貰ったカネを競輪でスッたりしつづけると思う)ところで。まさお君、お母さんは別の家庭築いちゃってたけど、ヘンなおっさんたちに沢山遊んでもらえてよかったね、くらいの抑制の利きよう。
- もうちょっと絞れるところはあるなあ、とは思えて、コメディパートはもうちょっと削ってもよかった気がする。特に前半、シーンとシーンの絶妙な繋ぎ方、詰め方が目に留まるだけに、後半のいくつかのギャグなんかは無くてもいいように思えてしまう。
- 昔の恩師が映画は90分でいい、最近のは長すぎると愚痴っていたのを今でも覚えていて、まあ半分は加齢で集中力が保たなくなっていたからだと思うんですが(当時すでに還暦を通過していた)、それにしてもやっぱり飽きが来てしまうもので。
- 北野武出演作品その2。久石譲の劇伴に興味があったので。
- 『蛍火の杜へ』
- 夏映画二連続。初々しいあやねるを賞味する目的で鑑賞。幼女もさることながらナレーション部分の素材そのままっぽい味わいも大変よろしかったです。
- 触るとか触らないとかって普段はそんなに意識されないもので、だからひとたび触れただけでアウト、と焦点化された途端に過剰に気になってしまうし、触っちゃダメって言われたら触りたくなるよね、というおはなし。どっちかといえば女子向けなのかな、という印象のすっきりしたキャラデザ色気のないぱんつ、肉欲の薄そうなイケメンという風合いでしたがよく楽しめました。
- 面は表情を変えないがゆえに時に素顔以上にありありと情念を語らせるなあ、と。演出の勝利。
- そんでまあ、なんでホタルなのかといえば、足早に姿を変えていく少女と、触れればすなわち消えてしまうギンの、それぞれのはかなさのことかな、と。