東部市場前

過去から来た猿

君も 君も 君も We are "not alone"というドクトリンは代弁者のカラスの人までを対象には含まなかったんだなあとかふと思うところのビビッドレッド・オペレーション12話を視聴し沈黙している人間の肖像であるわけですが、まさしく

後出しで「こうすればよかった」などと作劇の話をするのって相当精度の高い言及が可能な人でなければ卑怯かつ空疎なものになりがち

ビビッドレッド・オペレーション 最終話 - 今だけの空を見上げて

という話で、視聴直後に一度ブログを書こうとするも結局断念しtwitterに不満を書き散らす醜態を晒したので、まあここはあかねちゃんの話でも。

先日BD1巻が届きまして(このことについても相当の葛藤がありはしたのだが措く)、まあ特典の「WE ARE ONE!」なぞ聴き込んでいるわけですが、冒頭に掲げた歌詞のようにあかねちゃんはあおいちゃんやわかばちゃんやひまわりちゃんやれいちゃんを巻き込む、けれどもその「友達になりたいという思い」のさしむけられる範囲はけして無制限ではないんですね。カラスの人は代弁者として多くの世界を観察するなかで愚かな人間(知的生命体)のことが信じられなくなっていきとうとう狂った、とみることはできないでもなくて、ここであかねちゃんがあらためて手を差し伸べるという展開だとより美しかったのでは、というのは端的に当方のかんがえたビビオペではあって、まあ拒んだカラスの人を無慈悲に処断するあかねちゃんエンドでもそれはそれで宜しいわけですけど、つまり世界の命運すら左右するほどの巨大な友情(友愛)として。
でもそうなってはいない、というのはしばしば我々は(2話以降の)あかねちゃんに無謬の聖人としての偉容を投影してしまうきらいがあって、それは5話で入院中のお母さんをお見舞いするエピソードを経ても変わらない。劇中の描写ベースの「事実」と読み手の抱く印象はしばしばズレてしまう。だってなァー!4話のひまわりちゃん視点で見ちゃうとなーァ!救済がなァー!
ともあれ、あかねちゃんが多用する「ビビッと来たんだよ」って言い回しが示唆するのは言語化しえない直観によって友達候補を選定するありようなのでカラスの人がビビッと来なくてもしょうがない。我々に責める資格はない。多分あかねちゃん的には友達になりたいれいちゃんにひどいことしてた時点で敵認定まっしぐらだったのでしょう。そう、友情は世界をふたつに分かつ。友か敵か。

やはり宮藤芳佳さんの異形っぷりが際立ちますね、とここで持ち出すのは少々筋悪ではあるが。

まあ普通に考えて(普通に?)君も 君も 君もっていうのは特撮の主題歌で子供たちに呼びかける文脈ではあるのだろうが、なんとなれば我々はそのような呼び掛けの対象たりえない単なる窃視者であり、ゆえに宙に浮いたその言葉は対象範囲を無限にとるように錯覚される。のかも。

それにしてもこの曲名、さらにWe are "not alone"I say "not alone"というフレーズは否応なくYOU ARE (NOT) ALONE.を連想させる。耳で聴いてるときは「あーいせーいのったろーん」って語感の気持ちよさに引っ張られて気づきもしなかった。まあアローンはネウロイであり使徒であり怪獣であって、だから東京の「東京」性(第3新東京市性・501JFW基地性、つまり本丸性・要防御性というかここが落ちると世界がヤバイ性)が実在する東京の近傍・新大島に示現エンジンとして分かたれた本作でベタに特撮パロディをやろうとすると7話のように北関東方面に出現したアローンが示現エンジンを目指す通り路にたまたま首都圏があるのでヤバいとなるわけですが、ついでにこうした文脈の踏襲性がパレットスーツによる対アローン戦闘を「戦争」に見せてしまうとは前にも書いたわけですが大きく話が逸れた、何が言いたかったって群体である人類と単一生命体である使徒の対置を取り出して前者の特質であるところの友情を実現するための具というか的というかにしたのがアローンなんですねっていう。しかし倒し方に芸が無いというか戦隊物の巨大化パロディであるところの矢による赤化を受けたらただちにドッキングで即殲滅、という処理はアイディアにもカタルシスにも欠ける。流石にエヴァレベルを要求するのは酷だろうて、されど毎回のネウロイは二次大戦の実在兵器をモチーフにしてるんですという個人的にちょうどうでもいいデザインコンセプトだった(まあネウロイがある程度ナチスドイツを暗喩する以上どうでもよくはないどころか作品内部における配置としては文句無く正しいのだが)ストライクウィッチーズだって空中の銃撃戦アクションは爽快感あったのに。
まあカタルシスは変身とドッキングのバンクにのみあろう。

楽曲に話を戻す。佐倉綾音の人は一色あかねの声で歌ってるけど村川梨衣の人は二葉あおいでやれてないきらいがあって、結果としてあかねちゃんと知らない女の人がデュエットしてる体になっており何だかウケる。SW1期EDやキャラソンにおける千葉紗子および名塚佳織の人にも同種の問題があって、しかし千葉紗子はかつてラジオトークの地声に馴らされていたので「501JFWの面々に混ざって千葉紗子と後何か細く不安定に掠れて甲高い声の女の人が歌ってる」という感想になったものです。そういうわけであおいちゃんピンの「なんでもちゃんと」はありふれたラブソング風の歌詞に洒落た曲調とコーラスもあって何だろうこれ、普通にいい曲なんだけど何だろう……となってしまう。これをあおいちゃんがあかねちゃんに向けたものとして聴くことは不可能ではないが結構難しい。好きなんですけどね。

BD自体の内容についてはまあ、あおいちゃんの下着以外に特段のコメントは無いのですが(やはりこのオタの妄想だけから成り立っているような完全無欠の病弱気丈お嬢様キャラであることによって逆説的に精液臭さを嗅ぎ取らずにはいられないありようを愛していきたいですね)、第3話予告の天元理心流宗家跡取り・三枝わかばよ。学校に現れた赤い曲者。わたしの剣を躱した? なんてこと、わたしは絶対負けられないのにというセリフ回しのあーこの人すごい生きてるの楽しそうだなーという感じには顔がにやける。宗家跡取りであることを鼻にかけているのでなく、ただ当然のありようとして受け止めていて、だからこそあかねちゃんとの邂逅が衝撃として作用しうる。一瞬一瞬を真顔で全力で本気で生きてるのでしょう。