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東部市場前

過去から来た猿

minoriって腕組み系ラーメン屋なんですねと気がつく夏ペル発売日の朝っぱら。
頭にタオル、上半身は黒Tシャツ、肌も浅黒く筋骨隆々。
出すもの確かに旨いちゃ旨いし余所ではなかなか食えないんだけど、店長の主義主張がどうにも鼻につく。
味わい方まで指図されちゃあ堪ったもんじゃない。
そのくせ雑誌にはニワカを呼び込みたい下心まんまんの日和った記事を出すし。

もう少し書き足す。
ニュアンスの細密化・厳密化というのが多分大方のクリエイターの囚われがちな夢、ではあるのでしょう。妄念と言い換えるとなおよし。
なるたけ俺の意図したとおりに見て聞いて、受け取ってくれ、という見果てぬ夢。オート推奨なんて寝言はそういうところから出てくる。音声については現状の大多数の作品にあってはその機能を十全に果たしているとは言いがたいので大義名分も立つ。
ゲームのインタラクティブ性なる議論の泥濘に片足突っ込む気もさらさら無いのでごく簡単に書くと、押す(こちらから何かする)→変化・反応がある→楽しい、というのが基本線でしょう。その多大なメリットをスポイルしてまでプレイヤーをモニターの前に正座させて提供しうる価値が、魅力があるのか。minoriのそれは静的に過ぎて、スタイルとして端的に洗練されていない。オートプレイ前提で演出組んでるけどシステムは組んでいない、とでも言うべきか。固有の、「そういうもの」として成立しきれているかは大いに疑問である。
一言で言えば「オートモードでプレイしても楽しくないのにオートモードでプレイ推奨だと?」という。
まあこの辺の諸々はefのときから折りに触れ言い続けてきたのでよい。

言葉を尽くせば伝わる、聞く環境を整えてやれば伝わる、誤解は減らせるというのがそも幻想であって、腕組み系ラーメン屋店長としてkeep minorityしようと踏ん張った数年が彼らをしてかかる渡世術の境地に辿り着かせたのかもしれないが、無論インターネッターにとってはほんのヲチ対象に過ぎぬ。
ああ、この人達はファンの言うことを聞く気が無いんだな、とは先日数年ぶりにイベントに参加したとき真っ先に感じたことで、ネットの波にじわじわとなぶられ続けて幾星霜、いつしか心を固く冷たくしてしまったんだな、と思った。強いかは知れない。
無論、客の言うことなんぞまともに聞くものではなし、インターネットはその客の碌でも無さを極大化して抽出するのでいよいよ耳を傾けても仕方ないのだが、かといって突っ張っても反動が帰ってきて辛いだけでしょう、とは余計な世話なのだろうけど。

新海誠経由で入ってefで希望と解放を目の当たりにし、以後新作とサントラを発売に買うくらいには身を入れて注視してきたけれど、そろそろどうかな、とは思わないでもない。
夏ペルは豪華版を予約済みなので近々引き取ってくるけど、今はGardenの絵里香パッチに注力したい。