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東部市場前

過去から来た猿

PUELLA MAGI MADOKA MAGICA THE MOVIE Part II: Eternal.
メンズデー千円。結論から言えば正値を払ってもよかった。
上映時間の半分位は満面の笑みを浮かべていた気がする。WA2プレイ時とまったく同種の、往来で露呈すれば即ち公僕を呼ばれる類の邪悪さに満ちた。

作品の楽しみ方はひとかたではなくて、何となさげに流し見しようとも画面にかじりついて一喜一憂しようとも、始終ぶつくさ文句を垂れ流そうとも奇跡の実現として崇めてもよい。ヴァリエーションは無数にあるしどれか一つだけ選ばなきゃならないということでもない。このハナシの場合はキャラクタの感情に素直に寄り添って苦しんだり泣いたり祈ったり救われたりしてもいいし上から目線で作り手とキャラクタ双方のボンクラ自意識を翫味しながらニヤついたり指差して「こいつ馬鹿だ!」と叫んだり目をみひらいて大口を開けながら手を叩きつつ上体を前後にゆっくりと反らす関口宏笑いに耽ってもいい(よくやります)。当方、テレビ放映時は無意識に前者のスタイルを採用しようと試みるも近年のシャフトの薄っぺらい画面と結論ありきでリソースの平仄を合わせようとするウロブチの旦那のちんこが目についてどうにも我慢ならず、爾来事あるごとに西南の方角に中指を立て続けてきたわけですがこの度開眼致しました。
ボンクラアニメとして見ればなかなかの快作だと。
イヌカレー空間もいいかげん慣れてくるとそれなりに見れると。劇場版も後編とあって作画の快感あるしレイアウトも美麗だと。まどほむだと。(←前からそこそこ)

伏線としてはここのところイン殺の過去ログと中里一日記の前編感想を読んでいたのがあって、一時的にボンクラ嗜好がブーストされていたという経緯がありまして。そして前編の記事に書いたように数年ぶりに声優魔道に堕ちる。あおちゃんかわいい。脳内ではコネクトとルミナスのループ再生が止まらない。まどほむgifはすばらしい。作品を取り巻く諸々に対する憎しみと好意の区別がつかなくなってきたところで、とりあえず月末発売予定のアルティメットまどかフィギュアをポチり、劇場入りしてカフェインを決めながらCMを観ているとサイボーグ009のハリウッド風思わせぶり予告がなかなかそそられる→ヱヴァQの例のピアノ予告で脳汁ドバドバのところで上映開始、さやかの「あたしって、ほんとバカ」でテンションは最高潮に達しボンクラ覚醒!というプロセスを辿ったわけであります。
以降、キャラクタの感情を味わい尽くす文字通りの怪物と化す。おお、哀れ。少年漫画の序盤で主人公に「ば、化け物!」って半ばビビられながら斬り捨てられそうな感じ。

と、いうわけで、いやー女子中学生ってほんとバカですね。何せそもそも女子中学生だから仕方ないし、内何人かは幼少期に魔法少女になったせいで精神の成長が止まってる感あるし、その上に魔法少女としての経験で各自こじらせちゃってるし、そういうわけで協調とかホウ・レン・ソウがあんまり出来ないうえにすぐ破綻する。さやか(だったもの)と無理心中する杏子とかソウルジェムの秘密を知って発狂するマミさんとか。ほんとバカだなー(哀れみと慈しみの上から目線)。
そしてボンクラ感全開の演出がまた堪らない。本作におけるボンクラの要諦とは「ひとつでもよさそうな武器を無闇矢鱈とたくさん並べてたくさん撃ちまくる、そのアホらしさとケレン味」および「一般的に魔法少女にそぐわないとみなされる武器を使わせるミスマッチ感」であって、前者がマミさんの単発マスケット銃踊りながら連射やほむほむの時止め&ロケット砲連発やまどかの全時空に対する弓矢乱射、後者がほむらの自作爆弾&ヤクザの事務所から盗み出した銃器(忍び入った際、手持ちの機械式ムーヴメントめいたアイテムに次々と放り込んでいくに至ってお前はドラえもんかとまた爆笑)&基地から以下略のロケット砲&ミサイル発射&タンクローリーで突撃、ってほとんどほむらじゃねえか!
まあ、杏子の多節棍(まあこれも香港映画か!とか突っ込んでよいのだが)然り、劇中で提示される限りの設定において魔法少女アイテムの特性をあまり積み上げていない以上、単純に数量とモーションで魅せるしかないのでしょう。存外これがキャラクタとも噛み合っていて、マミさんのはオレ美学だしほむらのは純粋に自らの時止め能力とスタミナの無さから導き出した合理的戦術だろうし。さやかですか。さやかはよわいので。それに剣がたくさん出てくるとまんま(お察しください)なので。
やっぱりウロブチの人はボンクラなんですよ。リソース問題と人類の未来に対しては過剰に貧乏性、徹底的に敗北主義的なせいで見えにくくなってたけど根っこはボンクラ。でなけりゃ、宇宙全体のエネルギー問題の解決のために捧げられる魔法少女に重火器乱射させたりしないとおもいます。

前もどこかで書いた気がするけど、悲劇はしばしば喜劇に見えがちで、当事者が頭悪かったり神の見えざるはずの手が見え見えのときは特にそうだ。何せ他人事だから。このハナシは問題設定を思春期の少女に寄せすぎてるんですね。俺は勿論魔法少女ではないし、少女でもかつて少女であったものでも何でもない。せいぜい彼女らに守られる一般人ではあろう、が生憎とこのハナシはそっち側にはあんまりスポットを当てないのでまどかが概念と化すことなんかへの己の態度を定位しがたい。無論こうであるからといって特定のキャラに感情移入していけない・できないということは無いが、今作についてはできなかった。ゆえにバカだなーと指さして笑うくらいしかないのです。


他。
リソースの話についてはやっぱりレトリックで押し切る気しか無いのでしょう。なぜまどかが最強の魔法少女としての素質をそなえているのかのくだり、ほむらの時間遡行によってまどかを軸に螺旋状に繋がれた因果が云々、なる説明のわかったようなわからないような感じ、捲し立てられればつい納得してしまいそうになるが立ち止まってみればどこまでも主観的説明にしかなってなくて、さやか周りで語られた希望と絶望のバランスの話といい、根底には莫大なエネルギー源としての人間の感情に対する信仰が横たわっている。ここは実際消失点ではあって、「なんで人間の感情がそんなスゴイの?」と問い掛けても多分「スゴイからスゴイ」としか返ってこないでしょう。トートロジー。まあ、これはこれで魔法少女物としては多分正しいリアリズムなのですが、SFか?とは思うし、そこに奇跡のリソースの問題を接続してループを絡めてエロゲー出身者のポーズをとるのはいかにも筋が悪い。ジャンルの側の内的論理からはあまり関係の無い物を引っ張りだしてるわけですから。
梶浦由記のコーラス付きの劇伴は相変わらず宜しい。久々に『舞-HiME』のサントラを聴きたくなった。
ほむらのメガネがウルトラアイにしか見えなくて困った。画像検索してみると全然違うんだけど。
やっぱりテレビ版OPのベッドでうだうだするまどかは生理、というのは直後のもう一人のまどかと抱き合って乳が潰れるカットに引きずられてはいるのだが。まあ生理。
水に漬かったまどかの死体の顔つきが秀逸。本当に死体。あのキャラデザで死体以外の何物でもない顔を実現するとは感動しました。
最後に登場する魔獣がちょうかっこいい。巨大な托鉢僧にしかみえないのでちょうかっこいい。まんまエネルギーを乞食に来てるんですかね。
シャフト名物、風に流れる帯についてそろそろ誰か「演出意図」をパーペキに解説してくれてもいいんだぜ?(後編終盤のそれは素直にまどかとほむらで2本、ってことでいいとしても)
スタッフロール。白バックがまぶしく目に優しくない。まさにひかり。
続篇予告。大団円を大団円たらしめるために施された飛躍のスキマから新作を捏造するためのロジックを抽出するのはこの手の詰めに詰め込んだ企画が存外ヒットしてしまった際に苦肉の策としてしばしば見受けられますが、一応の納得を得たファン(ファン!ファンだっておまえ、どの口で!)からしてみれば如何にも無惨な心持ちにさせられますね。まあ観るけど。