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東部市場前

過去から来た猿

『ナツユメナギサ』終了。以下はファーストインプレッションとかいうの。

引用に溢れてはいるが、それはオマージュではあれど愛ではない感が強い。クレバーなパズラーによる作。
ところでKeyは当然のこととして(常夏の街でペンギンだからエヴァというのも措いといて)、意外と御影ディレクション作品にも目配せを怠らない。白河さやかと火村夕のあいの子が常夏の初音島で雨宮優子と教会の別れ、というのはあくまでモチーフのレベルの話であり、基底にある関係性はまったく独自のものであるが、しかし、実際、歩、とはそのような名前ではないか(latter tale.エンディングムービー)。
夢あるいは虚構と現実の二項対立における前者の終わり・後者への帰還、とは実際それだけでは面白くも何ともないモチーフであって、ややもすると例の選ばれなかったヒロインが可哀相というのとおそらくは同じ回路によって気持ち悪くも耳障りのいい話になりがちなのだけど、ここで解放されるのはヒロインであって主人公ではない。勿論プレイヤーがヒロインに何も投影していないなどと言うつもりはないが、すくなくともこの反転によって一種の清々しさが実現されたように思う。消滅と別離は悲しさではなく、新たな旅立ちを迎えるヒロインを送り出すために行われるのであって、ここにおいて物語世界とプレイヤーの適切な関係が実現しているのではないか、とはさすがに言い過ぎかもしれないけど。
そもそも記憶喪失の幽霊、というのはジャンルの条件に寄り添うなら主人公にこそふさわしいのであって、だから郡山渚は欲望され投影される。純粋にヒロインによるそれのみに立脚する、生きる主人公概念として成り立つ。そして役割を終えたときの(終えるための)消滅が腑に落ちる。
まあ、当の主体=ヒロインが病人であるという身も蓋もなさは、どうにも功利主義的・合目的的すぎて何だけど。