東部市場前

過去から来た猿

故あって SWII #12. まで視聴。テレビ放映から数えて多分4周目、だいたいのことは過去の俺が色々なところに書き散らしているのでまあいいやという感じである。わざわざなぞり返さんでも。
劇場版公開後しばらくは発狂していたのだが(必要に応じてこのブログの過去記事を参照しよう)、落ち着いてからあらためて視聴すると特に気にならない。しかし2期を最後まで観ると劇場版にはやはり納得できないとの想い高まってしまうのであった。
とはいえ、その納得できなさではありながらも、まあ彼女なら仕方ないとも思わされてしまいかねないのがまさに宮藤芳佳の宮藤芳佳たるゆえんではあるのかもしれない。

会話のさなか、ふと昔のSS案を思い出したので並べておく。もう書く気力も無いし、誰かパクってくれれば幸いのこと。

STRIKE WITHCES 195X - Veteran Witches' Affairs -

ネウロイ大戦の終結から数年後。軍務を解かれ故郷に帰還したウィッチたちの存在は、各国で社会問題化しつつあった。
過酷な戦闘の過程で心身に故障を負った者、戦い以外に身の処し方を知らず周囲と諍いを起こす者。せっかくの恩給を酒や薬に溶かしてしまう者。挙句の果てには乞食に落ちぶれる者まで現れた。
無論、軍のみならず社会一般における(元)ウィッチの地位は各国ともに総じて高く、割合的にも代々の名門家系の出身者が大半を占めたため、彼女たちを社会復帰させるための公的・私的なバックアップ・フォローアップは優先的にとり行われた。だがこのことが絶対数として圧倒的に多く、同様の問題に苦しんでいた一般の退役軍人から嫉妬を招いた。逆差別であるとのいわれなき非難を受け――ウィッチ一人で歩兵数百、数千人分の働きをしたというのに――、ウィッチたちは政治上の窮地に立たされる。恩給の削減。種々の特権の剥奪。そしてあろうことか、魔法使用の禁止。
欧州・北アフリカはネウロイから解放されたとはいえ、いまだその傷跡は深い。ネウロイの残した瘴気によって人の足の踏み入れられない土地も残り、復興は遅々として進まず、生産力は回復しない。心身ともに飢えた大衆は、手っ取り早いスケープゴートとして二重の意味で<他者>たる魔法使いの女=ウィッチを求めたのだ。戦争が終わってみれば、得体のしれない不気味な力を操る女なぞ不要。20世紀は科学万能の時代、科学技術が人類の輝かしい未来を切り開いていくのだ。
……あるいは人々は、恐れたのだろう。勇猛果敢なウィッチの働き、文字通り千人力のその力を。怪異に唯一抗しうるその神性こそ、ネウロイ消滅後の世界には不要と考えたのだ。身勝手にも。
かくして戦女神は容易く地に引きずり落とされる。魔女狩り(ウィッチ・パージ)の嵐が世界を覆い始める。
そんな風潮のさなか。戦禍とはほぼ無縁であったために戦後の国際政治の主導権を握ったリベリオンに4年ぶりの冬が訪れようとしていた。大統領選の冬。
この年、初の女性大統領候補として急遽立候補を決めた元ウィッチがいた。前大戦の英雄として、さらには選挙を目前に急死した上院議員の夫に代わって。予備選挙を前に、その知名度のみならず高潔な人格によって党内でも有力候補のひとりとして急速に存在感を増しつつあった彼女を待ち受けていたのは、退役ウィッチによる市街地銃乱射事件だった――

  • 原作の設定をシビアな方向に読み込みつつ、小娘たちの駆け抜けた戦争とかもういいですーおっさんおばさんの政治とか見たいんですーって持ってくとこうなるかな、という例の一。書いといてなんだが個人的にはあんまり趣味ではない。
    • なんとなればストライクウィッチーズ2とは一側面、初代トップのオオタコーチ的な熱血脳筋野郎をトップ2的な異能持ち青少年の「あがり」による自意識の危機の問題に突っ込みつつ家族としての501JFWの枠組みに引っ掛けて変奏する話ではありまして、それを更に捻り直しつつ戦後の退役軍人問題に一般化するとこうなる。
    • しかしパロディの宝庫からさらにパロディすると何がなんだかわからんね。いや初代トップがそもそもそうしたコンセプトを振りかけつつ熱血王道路線で押し切る類の作品なんだから正調の発展、とは言えるのか。
  • そもそも当方にはあいにくと国際政治史の知識とか無い。調べれば書けるだろうけど、調べてる内に早晩飽きるであろうことは容易に想像がつく。あといざ執筆の段までこぎつけたところで、多分そんなに面白い話にならないという。
  • しかしまあ、某氏にも言われた気がするのだが、襤褸に身を包んで乞食をするウィッチ、というビジュアルイメージは圧倒的に強い。勿論手足の一本も無くしておかねばならぬ。部分的に取り出して漫画化すると面白いのではないでしょうか(絵という絵が一切描けない人間の放言)。

「警視庁抜刀隊」

――扶桑皇国の航空ウィッチに二軍あり。陸軍航空隊。海軍航空隊。
――否、否。第三軍ぞある。
――第三軍、其は何ぞ。
――内務省警視庁麾下、帝都の守りを専らにせん。抜刀隊、警視庁抜刀隊なり――!

なんやかんやの国内事情・国際事情。縄張り争いと政治の果てに、外征に繰り出す羽目になった警視庁抜刀隊。
命知らずの武士(もののふ)ども、腰に佩いた軍刀抜いて、並み居るネウロイばったばったと薙ぎ倒す。それ見た異国のウィッチども、驚き呆れ叫ぶことには「扶桑のウィッチは化け物か!」
まことあっぱれ、扶桑の誉れ、警視庁抜刀隊。

  • いやまあ、もっさんがダース単位で徒党を組んでポン刀振りかざして向かってきたらネウロイもすっごいイヤだよなーというただの思いつきではあるのですが。より直接的には『朝霧の巫女』のせい。
  • あと外人に「扶桑のウィッチは化け物か!」言わせたいだけ。外部からの視線によって再帰的に定義される変態の国・日本という自己像によるオナニーですね。
    • これも資料調べるのがめんどいので以下略。といっても上の「退役ウィッチ問題」よりかは創作で押し切れる余地が多そうだけど。あとまあ、時代設定をどこに置くかも難しい。
    • 西南戦争に起源を置くのは難しい。というのは公式設定上*1、信長が海外進出俺TUEEEEした世界なので実際の近世・近代日本史の知識が役立つとは思えない。一応、1867年の議会制移行に伴う揺り戻しとして地方反乱が起きていたと想定する余地はあるが、そこで抜刀隊が結成されるには「賊軍の刀持った超強い士族」VS「刀に馴れない官軍の平民」という構図が成立せねばならないっぽい。しかしこの時点での身分制度がどうなっていたかわからないし、仮に議会制移行したんだから身分も解放されているだろうと無難に読んだとしてもそもそも近世以降も海外でガンガン戦争してる扶桑において日本刀がこの世界のような近接戦闘武器としてあの形状・ポジションにあったかどうかは以下略
  • つまり、無限にどうとでも言えてしまうようなので、まあ好みでテキトーに俺設定すればいいと思います。そもそもがパッチワークの世界設定なので。個人的にもっさんを直接絡めるのはあんまり好きくないけど。
  • なおシールドは張りません。なぜならそのほうがかっこいいから よりキチガってるから 烈風丸のように刀それ自体がシールドとして機能します。
    • 別にあがりが差し迫っているわけでもないのに魔剣に魔力を吸い取られて次々と弱っていく抜刀隊のウィッチたち……
  • 薩摩出身者が大半を占めていたりすると何かすごくイヤな感じでいいと思います。うら若き乙女たちがネウロイの肝に我先にとかぶりつく。いや肝とかねーよ。まあ『ドリフターズ』的な。


まあ何と言いますか、もっさんこそが世界の穴なんだなーという感。宮藤の主人公性とはまた別の点で。

*1:ストライクウィッチーズ オフィシャルファンブック コンプリートファイル』2009年、角川書店刊、34~35ページ。

ひまわりちゃんになれない人生だった(挨拶)。
"Ending Theme & Character Song Collection 02" をヘビロテする昨今であるわけですが、 Stray Sheep Story には救済感と同時にあかねちゃんにもひまわりちゃんにもなれない自分を突きつけられてつらみMAXであるわけです。つらい。
あ、 maelstrom も意外といい感じの出来なのでオススメ。つまりみなさんビビッドのBDを買いましょうとのこと。

諸般の事情でポロロッカ的に元ネタを押さえる機運高まりつつあったので映画のDVDをレンタルしてきました。ジブリ多め。今週はまず4本。

  • 『SPACE BATTLESHIP ヤマト』

初っ端から元ネタではなく徒花で恐縮だけども、出渕版がテレビ放映中ということで選定。大方の評価指摘はインターネットに溢れているので省略。
一点、サルベージ業者に身をやつし、放射能汚染された危険な地表で孤独にレアメタルを拾い集めることで兄の戦いを支える、という序盤の古代守像の提示はなかなかに魅力的だったのだけども。
まあ、VFXがちょうすごかったです。はい。

ポルコのアジトが SWII #01. シャッキーニが寝転がっていた海岸のパロディ元、ということで(他にも、改めて調べたら #03. のアンナ・フェラーラは元ネタのパイロットがポルコの戦友と共通しているらしい)。
戦間期のいやーな時代のイタリアを舞台に大空の自由をうんたらかんたら。宮崎駿監督が自らの趣味性を忠実に結晶させた一作、以上でも以下でもないという印象。つまり空戦の作画は大変宜しかった。
趣味性、といえば冒頭の空賊襲撃シーンは本当にひどくて、人質にとった幼女15人のうじゃうじゃっとした自由奔放なモーションときたらもう、筆舌に尽くしがたい。仕舞いには飛行艇の機内に散らかった種々の機械をいじくりまわすのである。以前より世評はあったけども、ああ、この人本物のアレなんだなと真に当方が確信した瞬間でありました。

正味な話、空賊周りの描写(飛行艇にしっちゃかめっちゃかに詰め込まれたマザコンのにくめない男どもとか、溜めをたっぷりとった拳一本での殴り合いとか、雲を抜けた先にある彼岸のイメージだとか)なんかはその多くが、宮崎駿の定番モチーフというよりも単に『天空の城ラピュタ』からのシーン単位の焼き直しに見えてあんまり評価できないのだけど、まあフィオがめちゃシコだったのでいいんじゃないでしょうか。既知の宮崎駿ヒロインでは一番好み。度胸と弱さが同居しつつ初々しさも残しており、素直に好意を示してくる。しかも戦闘はしない。そして何よりハイティーンですよハイティーン。

ストライクウィッチーズ2』要素としては前掲のアジトに加えて、まあ「自由な空を求める」「左ひねり込み」「日本では知名度の低いマイナーなイタリア軍兵器が大活躍」辺りも該当すると言えなくはない。いずれも時代背景・モチーフ・舞台設定あたりの条件から結果的に一致しただけだろうけども。そもそもポルコは戦争したくないって言ってますし。
余談だけどもマンマユート・ボスが庵野の人にしか見えない。全部『風立ちぬ』のアフレコ風景写真が悪い。

SWTM (さすがにこの略称は無理があると思ってる)および『ガールズ&パンツァー』10話 の元ネタとして。
前者については多々あるようなので省略。ちょうど先程、KORDERからメモリアルコメンタリーブックの発送通知があったので、手元に届き次第そちらを参照した方が早かろうし。個人的に気づいたのはオープントップのジープに乗ったウェーバー中尉・デュケスン軍曹のペアが芳佳ちゃんと静夏ちゃんを思わせるなあ、というのと砲撃を受けたアンブレーヴ(バストーニュだったかも)の教会に怪我人が大勢運び込まれている状況がネウロイの潜航で崖崩れを起こしたガリアの農村のそれにそっくりだなあ、くらい。それから、史実にもあったドイツ兵の浸透による通信妨害は、そこからの回復すなわち501JFWの再結成という形でそのまんま劇場版のプロットの骨子となっている。
後者は10話でパッケージが映る他、11話で「パンツァー・リート」が流れていたとか。

本篇については、3時間近くもあるわりには意外とダレないなあ、とか。
戦争狂のヘスラー大佐がHELLSINGの少佐を連想させたんだけども、まあナチスドイツの敵キャラで政治的めんどくささを回避しようとするとキチガらせるのが早道ではあろう。戦争映画ってよりかは戦争を題材にした娯楽大作の感あればこそ。

庵野秀明主演作品『風立ちぬ』公開に向けて未見の宮崎駿監督作品を押さえよう運動の一環として。
とにかく色んなものがうにょうにょ動きまわるアニメでした。動きに淫する風ときたら気持ち悪さと紙一重のところがある。ポニョ母のバタ臭い面とか踏まえるにこの期に及んでディズニーごっこがしたかったのかしらん。
と、いうのは画面に限られていて話はそうでもない。幼児が見る幼児のための世界の感があって、あれやこれやが象徴として立ち現れるし、大人は妙に物分かりがよく子供と大して知能が変わらないように見える(そのような側面しか示さない)し、ましてや大人の責任がどうとか野暮なことは誰も言い出さない。しまいには世界とか救う。名前呼びの件を持ち出すまでもなく、宗介は周囲の大人から判断力ある一個の主体として尊重されているんですね。
ところで宗介が世界救済する一件ですが別に遠くの街で戦争とか起こってないし男の子が無力感噛み締めてないし悲恋の萌芽はあったけどもふつうに回避されたのでセカイ系とは言えない。そもそも幼児の象徴的な世界観にあっては世界とか簡単に救ったり救わなかったりするし、社会の存在とか実感できない(そもそも社会とか存在しないので社会なる概念をエミュレーションできていないと表すのがより精確でしょう)ので女の子とのボーイミーツガールは容易に世界の運命と接続されうる。なんとなれば、女の子なんてそれ自体が一個の世界ですからね(気持ち悪い発言)。
話を戻すと、だから、正しく子供向けアニメの感はある。

フェチポイントは車道と交差した船舶用ドック。「フネいいよね」「いい…」
個人的には NANOHA The MOVIE 2nd A's に続く(順序が逆だが)車椅子アニメになるかなーとも思った、というのはわざわざ手動と自動のバリエーションを用意することでキャラクターの差異を提示していたから、なんだけども結局は単なる老いの識別子にとどまっていて残念。とはいえ階段下の水際にカラの車椅子が何台も並んでいる絵面はなかなか不穏で良かった。

そういえば宮崎駿監督作品って幼女もさることながら愛嬌ある婆さん連中の印象も鮮烈で、紅の豚でもピッコロの親戚の婆さんたちが実に楽しそうだったのだが、要するに少女性ってそういうことなのかな、とも思った。人間は老いると子供に還っていくわけですが、それは成熟によって社会的に科せられた女性としての種々の呪縛から解放されることでもある、というような。

4月期新番におおむね目を通した人間の肖像(挨拶)。
百花繚乱サムライブライドのスカム感あふるるアトモスフィアが大変宜しいですね。墨絵風の流麗な背景にのっかって、Niθの手によるドレスコードということばの意味がわからなくなるほど傾いたコンセプト一辺倒の恰好の・というかどこかの格ゲーで見かけたような、戦国BASARAも真っ青というほどにもはや元ネタ戦国武将との関係窺いがたき美少女ヒロインが、絶妙にズレたセンスのもとどこまでもボケ倒していく。ハーレムっちゃハーレムなんだけども骨折したサービスシーン。乳とかパンツとか見えても特にうれしくないこの感覚。バトルでシリアスに寄せるようでいて結局揺り戻すような処理の巧みさ。大日本、マスターサムライ、ダークサムライ、ひいてはトゥルーシャドー(真陰)といったタームの脱力感と相まってスカム感の充満する領域へ誘ってくれるわけです。
フィクション柳生は荒山徹くらいしか知りませんが、こうも斜め上の方向に打ち上げてくるとは思わなんだ。美少女化とか問題ですらないという。

この通り、ツボを突かれまくっており大変に楽しんでいるわけですが、仮に最後までこのまま突き抜けてくれたとしても多分BDを買いはしない自分を見下げ果てた野郎だと思いもする。何だかんだで大作・王道信仰から抜け出せないわけですよ。

他にもいくらか観てますが、サムライブライドに加えてレヴィアタンのまた少し違った静かなズレ具合と、むろみさんのはーいスゴい作画ですよーってアングルをおもに注視していきたいなー、と。

ついでに新番、変態王子の話。
記録によれば原作を2巻まで読んでいたようだ(読書メーターによる記憶の外部化)。
この通り、記憶も朧気であるのでイマイチ確証に欠けるのだが、舞台の街並みにはジブリ的な東京郊外・多摩丘陵の風景を想定していて、一本杉の丘もあれほど大きく高く聳えはしない、変哲のない小山だと勝手に思い込んでいたので、まあそれはそれで残念ではあるわけですがさておき、盆地のさなかであることも相まって、世界の中心であることを視覚的に表現した処理なのかな、とは。
ところでやはり朧気な記憶によれば、作者一流の筆力によって変態のモノローグとセリフでぶん回す語りの話ではあったはずなので、まあアニメにすると変態王子によって音声空間が埋め尽くされるわけですね。より精確に言えば、そうしないことも出来たのかもしれないが(1話の)制作スタッフはそうすることを選んだ。ここで梶裕貴の人の声はその根源的な人の良さといいますかイヤらしさに乏しいところが適切にはみえる(きこえる)けどやっぱり原理的に鬱陶しい。おんなのこの種々のかわいみ目当てでアニメを視聴してる向きとしては彼女らの声をもっと聞かせろとはどうしても思ってしまうわけです。まさにそのようにヒロインたちの声を音量・時間・印象において圧倒するこそが演出の意図ではあろうて、だから言っても詮無い話ではあるのですが。

君も 君も 君も We are "not alone"というドクトリンは代弁者のカラスの人までを対象には含まなかったんだなあとかふと思うところのビビッドレッド・オペレーション12話を視聴し沈黙している人間の肖像であるわけですが、まさしく

後出しで「こうすればよかった」などと作劇の話をするのって相当精度の高い言及が可能な人でなければ卑怯かつ空疎なものになりがち

ビビッドレッド・オペレーション 最終話 - 今だけの空を見上げて

という話で、視聴直後に一度ブログを書こうとするも結局断念しtwitterに不満を書き散らす醜態を晒したので、まあここはあかねちゃんの話でも。

先日BD1巻が届きまして(このことについても相当の葛藤がありはしたのだが措く)、まあ特典の「WE ARE ONE!」なぞ聴き込んでいるわけですが、冒頭に掲げた歌詞のようにあかねちゃんはあおいちゃんやわかばちゃんやひまわりちゃんやれいちゃんを巻き込む、けれどもその「友達になりたいという思い」のさしむけられる範囲はけして無制限ではないんですね。カラスの人は代弁者として多くの世界を観察するなかで愚かな人間(知的生命体)のことが信じられなくなっていきとうとう狂った、とみることはできないでもなくて、ここであかねちゃんがあらためて手を差し伸べるという展開だとより美しかったのでは、というのは端的に当方のかんがえたビビオペではあって、まあ拒んだカラスの人を無慈悲に処断するあかねちゃんエンドでもそれはそれで宜しいわけですけど、つまり世界の命運すら左右するほどの巨大な友情(友愛)として。
でもそうなってはいない、というのはしばしば我々は(2話以降の)あかねちゃんに無謬の聖人としての偉容を投影してしまうきらいがあって、それは5話で入院中のお母さんをお見舞いするエピソードを経ても変わらない。劇中の描写ベースの「事実」と読み手の抱く印象はしばしばズレてしまう。だってなァー!4話のひまわりちゃん視点で見ちゃうとなーァ!救済がなァー!
ともあれ、あかねちゃんが多用する「ビビッと来たんだよ」って言い回しが示唆するのは言語化しえない直観によって友達候補を選定するありようなのでカラスの人がビビッと来なくてもしょうがない。我々に責める資格はない。多分あかねちゃん的には友達になりたいれいちゃんにひどいことしてた時点で敵認定まっしぐらだったのでしょう。そう、友情は世界をふたつに分かつ。友か敵か。

やはり宮藤芳佳さんの異形っぷりが際立ちますね、とここで持ち出すのは少々筋悪ではあるが。

まあ普通に考えて(普通に?)君も 君も 君もっていうのは特撮の主題歌で子供たちに呼びかける文脈ではあるのだろうが、なんとなれば我々はそのような呼び掛けの対象たりえない単なる窃視者であり、ゆえに宙に浮いたその言葉は対象範囲を無限にとるように錯覚される。のかも。

それにしてもこの曲名、さらにWe are "not alone"I say "not alone"というフレーズは否応なくYOU ARE (NOT) ALONE.を連想させる。耳で聴いてるときは「あーいせーいのったろーん」って語感の気持ちよさに引っ張られて気づきもしなかった。まあアローンはネウロイであり使徒であり怪獣であって、だから東京の「東京」性(第3新東京市性・501JFW基地性、つまり本丸性・要防御性というかここが落ちると世界がヤバイ性)が実在する東京の近傍・新大島に示現エンジンとして分かたれた本作でベタに特撮パロディをやろうとすると7話のように北関東方面に出現したアローンが示現エンジンを目指す通り路にたまたま首都圏があるのでヤバいとなるわけですが、ついでにこうした文脈の踏襲性がパレットスーツによる対アローン戦闘を「戦争」に見せてしまうとは前にも書いたわけですが大きく話が逸れた、何が言いたかったって群体である人類と単一生命体である使徒の対置を取り出して前者の特質であるところの友情を実現するための具というか的というかにしたのがアローンなんですねっていう。しかし倒し方に芸が無いというか戦隊物の巨大化パロディであるところの矢による赤化を受けたらただちにドッキングで即殲滅、という処理はアイディアにもカタルシスにも欠ける。流石にエヴァレベルを要求するのは酷だろうて、されど毎回のネウロイは二次大戦の実在兵器をモチーフにしてるんですという個人的にちょうどうでもいいデザインコンセプトだった(まあネウロイがある程度ナチスドイツを暗喩する以上どうでもよくはないどころか作品内部における配置としては文句無く正しいのだが)ストライクウィッチーズだって空中の銃撃戦アクションは爽快感あったのに。
まあカタルシスは変身とドッキングのバンクにのみあろう。

楽曲に話を戻す。佐倉綾音の人は一色あかねの声で歌ってるけど村川梨衣の人は二葉あおいでやれてないきらいがあって、結果としてあかねちゃんと知らない女の人がデュエットしてる体になっており何だかウケる。SW1期EDやキャラソンにおける千葉紗子および名塚佳織の人にも同種の問題があって、しかし千葉紗子はかつてラジオトークの地声に馴らされていたので「501JFWの面々に混ざって千葉紗子と後何か細く不安定に掠れて甲高い声の女の人が歌ってる」という感想になったものです。そういうわけであおいちゃんピンの「なんでもちゃんと」はありふれたラブソング風の歌詞に洒落た曲調とコーラスもあって何だろうこれ、普通にいい曲なんだけど何だろう……となってしまう。これをあおいちゃんがあかねちゃんに向けたものとして聴くことは不可能ではないが結構難しい。好きなんですけどね。

BD自体の内容についてはまあ、あおいちゃんの下着以外に特段のコメントは無いのですが(やはりこのオタの妄想だけから成り立っているような完全無欠の病弱気丈お嬢様キャラであることによって逆説的に精液臭さを嗅ぎ取らずにはいられないありようを愛していきたいですね)、第3話予告の天元理心流宗家跡取り・三枝わかばよ。学校に現れた赤い曲者。わたしの剣を躱した? なんてこと、わたしは絶対負けられないのにというセリフ回しのあーこの人すごい生きてるの楽しそうだなーという感じには顔がにやける。宗家跡取りであることを鼻にかけているのでなく、ただ当然のありようとして受け止めていて、だからこそあかねちゃんとの邂逅が衝撃として作用しうる。一瞬一瞬を真顔で全力で本気で生きてるのでしょう。

ちんちんを読了。もとい、米倉あきら『インテリぶる推理少女とハメたいせんせい』であるわけですが。旧題「せんせいは何故女子中学生にちんちんをぶち込み続けるのか?」のが破壊力あってどうにも馴染む。
多分、色々な切り口があるんだけど、まずもって言えば当方のために書かれたとすら思えるツボの突きっぷり。このタイトルからどう釣りに来てくれるのか楽しみにしていたら、存外直球で強姦全開、信用出来ない語り手=レイパーによって紡がれるドライブ感ある文体は個人的には『フリッカー式』や『左巻キ式ラストリゾート』を連想させつつも焦燥感やドギツい露悪趣味は無く、(あるいはレーベルの倫理規定に制約されたのか)どこか淡々と他人事の風があって心地良い。文章の「視界の狭さ」、描写に先行して客観的に事物が存在することを前提としてビデオカメラ的に描出するモデルを採用せず小説を小説として書き連ねることで無限に実行されるちゃぶ台返しの快感。主人公の度を越した処女厨設定はジャンル規範を露悪的に引きずり出したような仕込みでありつつもやっぱり女子中学生連続強姦は圧倒的に正しく、そして無論正しくないことに自覚的であり、けれどもそれは本当に遵守すべき規範なのか、というウェブ小説出身者とは思えぬ(失礼)倫理感。ちゃぶ台返していくところまで含めて信頼できる。
ところどころ、他人とは思えないのですね。鏡としてのエロゲー主人公の話とか、ジャンル規範への葛藤とか。あの辺のログを見てたのでは、と思わされるものがある。自意識過剰か。
オチについては実際、すぐにはぴんと来なくて、というのも当方は生来恋愛厨であるので大抵の話は無理くりにでもラブコメとして読もうとするうえに本作も購入前にあらすじを読んでまさにそのように認識していたので(何せ裏表紙にも「孤島を舞台に繰り広げる壮絶な頭脳戦と恋愛模様」って書いてある)、かえって脳がうまく咀嚼してくれなかったんですね。ここを読んでやっと理解できたのだけど、それで思ったのは、こうもちゃぶ台返しを連発すると一見整合性のありそうなそれなりの結末にしても一部の読者は変にうたぐって本篇を何度も読み返したりする羽目になる、そうした疑心暗鬼の回廊に読み手を閉じ込めることで傑作たろうとする選択も当然ありえたはずだし現にそれを待望していたのではないか、だが作者はそうしなかったのだな、と。事件-解決、咎人-贖罪といった機序はすなわち勃起-射精のアナロジーにも読めて、しかし終いには肩透かしを食らう。
ちんちんのいらいらする小説ではあって、けれどもシコれはしないのだった。

前から秋山澪が好きという人間にインタビューして回ってみたかったのだが、ここには原理的不可能性がある。
多分、てらいなく好きと言える人は、何もわかっていないか、わかっているがゆえに言語化不能かのどちらかなんでしょう(藁人形論法)。
言語化は彼女が母親に抑圧されて育ったとかその手の悪意的な読み替えしか呼び込まない。きーんだいてきないめーんと自意識。

ビビッドレッド・オペレーション6話を観て脳内麻薬を大いに分泌させ疲労感を一時的に消し飛ばした人間の肖像。

  • 早速切れてきたので眩暈が。何か今週入ってから妙に体調悪いのです。このエントリが1日遅れなのもそういう事情による。
  • ところで本エントリは実況POSTを元に書き起こしてます。ソースはこっち
    • といっても「1周目は通常の視聴→適宜に一時停止・早送り等しながら2周目を実況」って体裁で純粋にリアルタイムのそれとは言いがたい、がしかし精度を高められるという利点があって、どちらかといえば「時系列に即したメモ」というのが近い。たいがいはBDやDVDを観るときしかやらなくて、テレビ放映(配信)中の作品を対象に行うのはビビッドが初であり、その程度には入れ込んでいたりもする。
  • 5話はこっち
    • 偶数回だけエントリ書くマンと化してますね。そういえばかつて!!は偶数回が(特に)面白い、なる碌でも無い言説が流布していたことを思い出す。
  • 面白いか面白くないかでいえば間違いなく面白くないのだが、もはやそういったことは問題でなく、ひまわりちゃんのおっぱい、とのことであった。
  • 不意に水着を褒められてどう反応していいかわからずに身体をくねらせ「ま、まあまあ」って答えるひまわりちゃんのかわいさ!!!
    • どうも宮藤芳佳に馴れてしまったせいであかねちゃんが相対的にはそんなにおっぱい星人でないことに違和感を抱いてしまうのであった。
  • ベルトコンベアの上を走らされるひまわりちゃんのおっぱいの躍動感。今回一番の見所と言ってよい。
  • 制度上のあかねちゃんハーレムとはまた別に作劇上はあかねちゃん×あおいちゃん、わかばちゃん×ひまわりちゃんのラインで公式としてはやって行きたいようでして、それに特に文句もない当方である。いやさっきひまわりちゃん×れいちゃんって天啓が下ってきたのでどうしようかとも思ってるんだけど。変な子ふたり。
  • ところでこれらラインにあってあおいちゃんはひまわりちゃんの天然天才っぷりに引き気味のように見えて、この4人って基本はあかねちゃん中心の関係ですよねってところからよくない想像が(以下略)
    • その手の疑念に応えるための本エピソード、ではあるはずなんだけど。
  • さて、ひまわりちゃんは引き篭もりっぱなしだったので英語は十分に読み書きできても発音は苦手なんでしょうとあおいちゃんが引き気味だった例の棒読みに。いやいや存外オン対戦で外人と罵り合っててもおかしくなさそうな感じはあるけども。
  • あかねちゃんのこともわかばちゃんのことも名前呼び捨てか!とちょっと驚いて、というのは他の娘たちは互いにちゃん付けで呼び合う程度には距離感あるんですね(そのちゃん付けが個々に違ったニュアンスを孕んでいるとしても)。でも彼女だけが名前呼び捨て。内気でぶあいそな子供がなついてきたときの感じに思えて、とてもよい。
    • そしてあおいちゃんの名前を呼ぶことはない。
  • 虫嫌いでキャラ立てするのってあんまり好まないんだけどわかばちゃんちょうかわいい、とのこと。
  • ももちゃんは腕まくりしただぶつき気味のジャージに子供っぽい球形の髪留めもさることながら、胸元にさげた小銭入れ?のワンポイントが生活感あってよい。
  • 膨張したあかねちゃんの旧スクに水抜き穴から潜り込んで行くシーンに、以前見かけた巨人の女性器内に人体まるごと「挿入」するエロCGを想起させられ狂気を覚える。ところで内部に潜入した際なぜあおいちゃんだけ顔を赤らめていたのか。察するに、あおいちゃんはいいところの娘なので下の毛を処理する習慣を教えこまれていたからでは(お察しください)
  • フェティシズムに浸って変態妄想ばかりするのもこれはこれで愉しいんだけどもうちょっと別の心の回路を動かしてほしくもある。ひまわりちゃんがあかねちゃんに約束を守られたときのような。
  • ドッキングをやらないのはヒロイン間の地位を等しくするためなのかな、とは思わないでもない。ブルー・グリーン・イエローの3パターンで3話使ってしまうので、やるとすれば後半にもう1回ずつ、残りはレッドなりブラックなりで締め、というような。なんとなれば1話に複数回ドッキングだってやれなくはなかろうし、大して意味のある予想ではないけど。